首都圏CCSで九十九里につながる「もう1本のパイプライン」

首都圏CCS事業とは何か。

最も簡単に説明すれば、東京湾岸の製油所や発電所などから排出されるCO2(二酸化炭素)を回収し、パイプラインで房総半島を横断して九十九里沖まで運び、海底下の地層へ圧入・貯留する計画である。

その中心となるのが、君津から九十九里へと伸びる長大なCO2パイプラインだ。

しかし、この事業について調査を続けていくと、もう一本の「パイプライン」が見えてくる。

こちらの起点は君津ではない。

霞が関である。

一本目のパイプライン──君津から九十九里へ

まず、目に見える方のパイプラインから確認しておこう。

国は2050年のカーボンニュートラル実現に向け、CCS(二酸化炭素回収・貯留)を重要な政策手段の一つに位置付けている。

CCSとは、工場や発電所などから排出されるCO2を大気へ放出する前に回収し、地下深くの地層へ圧入して長期間貯留する技術だ。

その実用化を進めるため、JOGMECは「先進的CCS事業」として国内外9案件を選定している。2030年時点で、合計年間約2,000万トンのCO2貯留を目標としている。

その一つが首都圏CCS事業である。

東京湾岸の排出源からCO2を回収し、房総半島を横断するパイプラインで九十九里沖まで運び、海底下の地層へ圧入する。

当初想定されている貯留量は年間約140万トン。

2026年4月には、CCS事業法に基づき、九十九里沖での試掘が経済産業大臣から許可された。

現在、私たちの目の前で進んでいるのはこちらのパイプラインである。

しかし、なぜこの巨大事業がここまで進んできたのかを理解するには、もう一本のラインを見る必要がある。

二本目のパイプライン──霞が関から九十九里へ

首都圏CCSを政策の流れから見ると、構造は分かりやすい。

経済産業省・資源エネルギー庁
↓ 政策立案

JOGMEC
↓ 事業選定・支援

INPEXなどの事業者
↓ 事業実施

首都圏CCS株式会社
↓ 調査・事業化

九十九里沖

制度上は、それぞれ別の組織である。

ところが、この図に組織名ではなく「人」を置いてみると、別のものが見えてくる。

INPEX歴代トップに並ぶ経産省OB

INPEXは東証プライム市場に株式を上場する、日本最大級の石油・天然ガス開発企業である。

その現在の形ができたのは2008年。国際石油開発と帝国石油が経営統合し、国際石油開発帝石が誕生した。現在のINPEXである。

その初代社長となった黒田直樹氏は旧通商産業省出身で、資源エネルギー庁長官を務めている。

2010年に社長となった北村俊昭氏も旧通商産業省出身。経済産業審議官などを歴任した。

2018年に社長となり、現在もINPEXを率いる上田隆之氏も経済産業省出身で、資源エネルギー庁長官経験者である。

そして2026年1月、ここへもう一人加わった。

前資源エネルギー庁長官の保坂伸氏である。

保坂氏はINPEXの取締役副社長執行役員に就任した。

時系列で並べてみよう。

黒田直樹氏 元資源エネルギー庁長官

北村俊昭氏 元経済産業審議官

上田隆之氏 元資源エネルギー庁長官

保坂伸氏 前資源エネルギー庁長官・現副社長

2008年の統合以来、INPEXの経営中枢には、経済産業省のエネルギー行政を担ってきた人物が途切れることなく並んでいる。

さらに興味深いのは、その時期だ。

北村氏は2010年から2018年まで8年間社長を務めた。

上田氏は2018年に社長へ就任し、2026年で8年目を迎えた。

その2026年に、前資源エネルギー庁長官の保坂氏が副社長として加わった。

今後どのような人事が行われるのか。

この並びは覚えておきたい。

経済産業大臣が持つ「たった1株」

INPEXと国との特殊な関係は、人事だけではない。

INPEXには普通株式とは別に、「甲種類株式」という特殊な株式が1株だけ存在する。

その株主は経済産業大臣である。

一般に「黄金株(ゴールデンシェア)」と呼ばれるものだ。

この1株には、取締役の選任、会社の合併、重要な事業の譲渡など、INPEXの経営上極めて重要な事項について拒否権を行使できる権利が付与されている。

背景にあるのは、日本のエネルギー安全保障である。

海外の資本などによって日本の重要な資源開発企業が意図しない形で支配されることを防ぐため、国が最後の拒否権を残している。

つまりINPEXは、株式市場に上場する株式会社でありながら、その重要な経営判断について国が特殊な権限を持つ企業でもある。

経産省とINPEXとの関係は、歴代経営陣の経歴だけでなく、資本構造にも組み込まれている。

国とINPEXを結ぶ、もう一本の「線」

INPEXと国を結んでいるのは、人事だけではない。

INPEXには普通株式とは別に、「甲種類株式」という特殊な株式が1株だけ存在する。

保有しているのは経済産業大臣である。

一般に「黄金株(ゴールデンシェア)」と呼ばれるものだ。

この1株には、取締役の選任、会社の合併、重要な事業の譲渡など、INPEXの経営上極めて重要な事項について拒否権を行使できる権利が付与されている。

背景にあるのは、日本のエネルギー安全保障だ。

海外資本などによって日本の重要な資源開発企業が意図しない形で支配されることを防ぐため、国が最後の拒否権を残している。

INPEXは株式市場に上場する株式会社である。

同時に、その重要な経営判断について国が特殊な権限を持つ企業でもある。

経産省とINPEXとの関係は、歴代経営陣の経歴だけではなく、会社の資本構造そのものにも組み込まれている。

JOGMECにも現れる「資源エネルギー庁長官」

次に、INPEXなどのCCS事業を支援するJOGMECを見てみよう。

ここでも、同じ肩書が登場する。

前理事長の細野哲弘氏は旧通商産業省出身で、資源エネルギー庁長官を務めた。

現理事長の高原一郎氏も経済産業省出身で、やはり資源エネルギー庁長官経験者である。

ここまでを「人」でつなぎ直してみる。

政策を作る
経済産業省・資源エネルギー庁

政策を事業化し、支援する
JOGMEC
前理事長・細野哲弘氏=元資源エネルギー庁長官
現理事長・高原一郎氏=元資源エネルギー庁長官

事業を実行する
INPEX
黒田直樹氏=元資源エネルギー庁長官
北村俊昭氏=元経済産業審議官
上田隆之氏=元資源エネルギー庁長官
保坂伸氏=前資源エネルギー庁長官

首都圏CCS

九十九里

CCSは「GX」「カーボンニュートラル」「2050年ネットゼロ」といった、いかにも21世紀らしい言葉で語られる政策である。

しかし、その政策を動かす人的構造をたどっていくと、そこに現れるのは日本では昔から見慣れた、官庁、所管法人、国策色の強い企業を官僚OBが移動していく構図である。

いわゆる「天下り」だ。

最新の脱炭素政策の下に、極めて古典的な日本型産業政策の構造が存在している。

年間2兆円を超える資金を扱うJOGMEC

霞が関から伸びる二本目のパイプラインを流れているのは、人だけではない。

公金も流れる。

JOGMECが公表している2026年度の総支出予算額は、2兆2,218億円

役職員数は1,147人、資本金は2026年5月時点で1兆8,710億円に達する。

総支出予算額はCCSだけのものではない。石油・天然ガス、金属鉱物、石炭、地熱、洋上風力、水素、資源備蓄など、JOGMECが担う事業全体の数字である。

それでも、年間2兆円を超える規模の資金を扱う巨大な公的機関が、日本のCCS事業でも事業選定や調査、事業化支援の中心に位置している。

そして今後、CCSそのものに対する長期的な公的支援制度も始まろうとしている。

CCSは「15年間の公的支援」で市場を作る

経済産業省では現在、2030年代初頭からCCSを本格的な事業として成立させるための支援制度を検討している。

2026年に示された制度案では、CCS事業者が負担するCO2の分離回収費用と輸送・貯留料金を「基準価格」とし、GX-ETSの炭素価格などを「参照価格」として、その差額を実際のCO2貯留量に応じて15年間支援する仕組みが示されている。

基準価格には、設備建設のためのCAPEX(設備投資費)とOPEX(運転費)が含まれる。

さらに金融費用を抑え、結果として総支援額を縮小できる場合には、CAPEX相当額の75%を上限として、建設段階から支援額の一部を先行して支給する仕組みも検討されている。

そして15年間の支援期間終了後には、分離回収側、輸送・貯留側の双方に10年間の事業継続義務を課す。

国が最初の15年間を支え、その間にコスト低減と市場形成を進め、その後の自立化を目指す。

これが現在検討されているCCS支援制度の基本構造である。

つまり首都圏CCSは、すでに存在する市場へ民間企業が参入する事業ではない。

国が政策を作り、公的資金を投入しながら、これから市場そのものを作ろうとしている事業なのである。

9案件で15年間なら「約6兆円」という試算

では、どの程度の金額になるのだろうか。

キヤノングローバル戦略研究所の杉山大志研究主幹は2026年7月、「政府丸抱えで始まるCCS事業」と題する研究ノートを公表している。

杉山氏は政府の発電コスト検証ワーキンググループのモデルなどを基に、CCSによる追加費用をCO2・1トン当たり約2万円として概算した。

現在の先進的CCS事業9案件が目標としている貯留量は年間約2,000万トン。

単純計算すると、

年間約4,000億円。

15年間なら、

約6兆円。

さらに政府は、2050年に年間1.2億~2.4億トンのCCS貯留能力を確保することを目安としている。

同じ条件なら、

年間2.4兆~4.8兆円。

15年間では、

36兆~72兆円。

杉山氏はその規模になる可能性を指摘している。

実際の支援額は、将来のCCSコスト、GX-ETSの炭素価格、技術革新などによって変わる。

しかし、ここで重要なのは72兆円という数字そのものではない。

CCSが今後、兆円単位の政策支援を伴う巨大産業になる可能性があるということである。

国が制度を作る。

JOGMECが事業を支援する。

企業が投資する。

設備が造られる。

そして15年間にわたって公的支援が続く。

霞が関から伸びる二本目のパイプラインには、人だけではなく、巨大な公金も流れ始めようとしている。

INPEXにとってCCSとは何なのか

その公的支援を受けながら、新しいCCS市場で中心的な役割を担おうとしている企業の一つがINPEXである。

INPEXの2024年12月期の親会社株主に帰属する当期利益は4,273億円。

日本を代表する巨大資源企業だ。

一方、その利益構造には大きな特徴がある。

INPEX自身が公表した資料によれば、2024年度の当期利益4,273億円のうち、58%を豪州のイクシスLNGプロジェクトが占めている。

同社は統合報告書でも、イクシスを利益の大部分を生み出す安定基盤と位置付ける一方、「一本足打法」から脱却し、イクシスへの依存度を低減していく必要性を説明している。

資源価格の変動にも大きく影響される。

原油価格が急落した2020年12月期には、1,899億円の減損損失などを計上し、親会社株主に帰属する純損益は1,116億円の赤字となった。

そのINPEXが現在、新しい事業領域の一つとして育てようとしているのがCCS・CCUSである。

石油や天然ガスを探し、地下構造を調べ、井戸を掘る。

INPEXが長年蓄積してきた技術は、CO2を地下へ貯留するCCSと極めて親和性が高い。

国にとってCCSは脱炭素政策。

JOGMECにとっては国策として育成する新しいエネルギー関連事業。

INPEXにとっては、既存の技術と人材を生かして参入できる新たな巨大市場。

三者の利害は、CCSという一点で見事に重なる。

年間8,624万トンと年間140万トン

ここでもう一つ、INPEXが公表している数字を見てみよう。

同社が2024年に販売した石油・天然ガスなどが顧客によって使用された際に発生する「Scope 3・カテゴリー11」の温室効果ガス排出量は、年間8,623万8,000トンCO2換算である。

一方、首都圏CCS事業の当初想定貯留量は年間約140万トン。

INPEXのScope 3排出量と比較すると、約1.6%に相当する規模である。

両者は直接対応する数字ではない。Scope 3はINPEXが世界各地で販売した化石燃料の使用に伴う排出量であり、首都圏CCSは東京湾岸の複数企業からCO2を回収する事業だからだ。

それでも、この二つの数字はCCSの規模感を考える一つの物差しにはなる。

8,624万トン。

140万トン。

その140万トンを地下へ貯留するため、房総半島を横断するパイプラインを造り、九十九里沖までCO2を運び、地下深くへ圧入する。

そして、その事業を成立させるために長期の公的支援制度が準備されている。

これだけの費用とインフラを投入して、どれだけのCO2削減効果を得られるのか。

首都圏CCSを評価するうえで、安全性と同時に検証されなければならない問題である。

最新技術を動かす、古い政治のライン

ここまで二本目のパイプラインをたどってきた。

そこを流れているものを、もう一度整理してみよう。

政策は、経済産業省からJOGMEC、そして事業者へ流れる。

公金も、国の制度からJOGMECなどを経て事業へ流れる。

そしては、資源エネルギー庁からJOGMECやINPEXの経営中枢へ流れている。

天下り。

官庁と所管法人。

国策色の強い企業。

補助金や公的支援によって育成される新産業。

どれも日本の政治・行政では新しい言葉ではない。

むしろ、戦後の産業政策の中で何度も見てきた構図である。

皮肉なのは、その古い構造の上を流れている政策が、GX、カーボンニュートラル、CCSという「未来」を象徴する政策だということだ。

看板は新しい。

技術も新しい。

しかし、それを動かしている政治・行政のラインは驚くほど古い。

誰がブレーキを踏むのか

そして、この構造には一つ大きな問題がある。

政策を進める人は大勢いる。

経産省はCCS政策を作る。

JOGMECは先進的CCS事業を支援する。

INPEXはCCSを新たな事業として育てる。

それぞれにCCSを「進める理由」がある。

では、

「そもそもCCSをこの規模で進める必要があるのか」

と問い直す人は、どこにいるのだろうか。

経済産業省は先進的CCS事業について毎年度末に「ステージゲート」を設け、事業継続を判断するとしている。

つまり制度上、ブレーキは存在する。

問題は、そのブレーキを誰が踏むのかである。

政策を作った側が、その政策を評価する。

政策を支援してきた側が、事業継続を評価する。

そして、その政策の下で新しい事業を育てている企業が存在する。

さらに、その三者の間を同じ行政組織出身の人々が移動している。

一度巨大な政策が走り始めれば、企業は投資し、設備が建ち、雇用が生まれ、関連企業が増え、自治体も関係する。

政策を止めるコストは、時間とともに大きくなる。

誰かが秘密裏に命令する必要などない。

全員に「続ける理由」が生まれるからだ。

国家政策と企業経営と行政組織が相互依存を深め、一度始めた政策を自ら否定することが難しくなる。

これこそが、首都圏CCSについて私たちが見ておかなければならないもう一つのリスクではないだろうか。

二本のパイプラインが九十九里で交わる

首都圏CCSには、二本のパイプラインがある。

一本は、

君津から九十九里へ、CO2を運ぶパイプライン。

そしてもう一本は、

霞が関からJOGMEC、INPEXを経て九十九里へ、政策と公金と人を運ぶパイプライン。

前者は、これから造られようとしている新しいインフラである。

後者は、日本の産業政策の中で長年繰り返されてきた、天下りと国策企業と公的資金を結ぶ古い政治・行政のラインである。

その二本が、九十九里で交わろうとしている。

だから首都圏CCSについて考えるとき、私たちは海底下の地層やパイプラインの安全性だけを見ていてはいけない。

なぜ、この事業が行われるのか。

誰が政策を作ったのか。

誰が事業を選び、支援するのか。

誰が事業によって新しい市場を得るのか。

そこにどれだけの公金が投入されるのか。

そして何より、

その政策が間違っていたとき、いったい誰が「やめよう」と言えるのか。

九十九里沖の地下数千メートルを見る前に、霞が関から九十九里まで伸びている、もう一本のパイプラインを見る。

首都圏CCSの本当の姿を理解するためには、その視点が欠かせない。

もう1本の複雑なパイプライン

ただし、この「もう一本のパイプライン」には、CO2を運ぶパイプラインとは大きく異なる特徴がある。

1本のCO2のパイプラインなら、地図上に線を引けば誰でもその経路を見ることができる。

しかし、政策と公金と人を運ぶ「もう一本のパイプライン」は単純ではない。

霞が関からJOGMEC、INPEXへという太い流れがある一方で、そこから枝分かれするように、地方自治体や首長、国会議員や地方議員、事業を受注する企業、業界団体、研究機関、各種関連団体などへ、網の目のように広がっていく可能性がある。

人が動く。

予算が動く。

補助金や委託費が動く。

調査事業が発注される。

広報や「理解促進」のための事業が行われる。

審議会や検討会が設置される。

そこに企業、行政、政治家、専門家、各種団体が関係していく。

そうして一つの国家政策を中心に、複雑な人的・資金的ネットワークが形成されていく。

しかも、その線は必ずしも分かりやすい場所だけにつながるとは限らない。

一つひとつ、人事、予算、契約、補助金、委託事業、政治との関係をたどっていけば、

「こんなところにもつながっていたのか」

という意外な場所に線が伸びていることもあり得る。

だからこそ、この「もう一本のパイプライン」は継続して調べる必要がある。

誰が誰に金を出しているのか。

誰が事業を受注しているのか。

誰が政策決定に関与しているのか。

国から自治体へ、どのような資金が流れているのか。

自治体はその資金を何に使っているのか。

議員や首長、関連団体は、この事業とどのような関係を持っているのか。

そして、人はどの組織からどの組織へ移動しているのか。

首都圏CCSをめぐる「もう一本のパイプライン」は、一本の線というより、霞が関を起点として広がる巨大な配管網と考えた方が実態に近いのかもしれない。

CO2のパイプラインは、完成すればその経路を地図で確認できる。

もう一方のパイプラインには、そんな地図は存在しない。

ならば、人事、予算、契約、政策、政治との関係を一つずつ調べ、私たち自身でその地図を描いていくしかない。

首都圏CCS事業について考えるうえで注視すべきなのは、房総半島の地下を横断するCO2のパイプラインだけではない。

霞が関から九十九里へ伸び、さらに行政、政治、企業、団体へと網の目のように枝分かれしていく「もう一つのパイプライン」。

山武ジャーナルでは、今後もこの見えないパイプラインがどうつながっているのか注視していきたい。

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