
海水浴シーズンを迎えた本須賀海岸。その水平線上に、見慣れない巨大な構造物が立っている。
山武ジャーナルが7月20日に本須賀海岸から撮影したこの写真をFacebookに投稿したところ、大きな反響が広がった。
投稿から3日でFacebookでの表示回数は18万回を超え、現在までに952件のリアクション、174件のコメント、102件のシェアが記録された。
「あれは何?」
寄せられたコメントから浮かび上がったのは、水平線上に現れた巨大な構造物への驚きと、その正体を知らなかった人の多さだった。
巨大構造物の正体
写真に写っているのは、千葉県九十九里沖で始まった二酸化炭素回収・貯留、いわゆる「CCS」の試掘に使われているジャッキアップ型掘削バージだ。
事業者の首都圏CCS株式会社は7月6日、九十九里町の沖合約5キロで「九十九里沖J-1」の作業を始めた。
ジャッキアップ型掘削バージは、船体から海底へ脚を下ろし、船体を海面上に持ち上げて固定する海洋掘削施設である。写真に写る塔のような3本の構造物はその脚だ。
今回の目的は、海底下にCO₂を貯留できる地層があるかを調べること。J-1では海面下約1900メートルまで掘削し、地層の物性データや岩石試料を取得するほか、海水を地層に送り込む圧入試験も行う。
今後は、沖合約13キロの地点で2坑目となる「九十九里沖J-2」の掘削も予定されている。
現在行われているのは、CO₂の注入そのものではない。将来の貯留事業に向けた地質調査、つまり「試掘」の段階だ。試掘が終われば、井戸はセメントで埋め戻される計画になっている。
ただし、「調査にすぎない」という言葉だけで、その意味を小さく捉えるべきではない。
真夏の海岸から肉眼で確認できるほどの巨大な施設が現れ、すでに海底下を掘る作業が始まっている。この試掘は、将来の首都圏CCS事業の実現可能性を判断するための、重要な工程である。
「首都圏CCS事業」とは何か
CCSは「Carbon dioxide Capture and Storage」の略で、日本語では二酸化炭素回収・貯留と呼ばれる。
製鉄所や化学工場などから排出されるCO₂を、大気中に放出する前に分離・回収し、パイプラインなどで運び、地下深くの地層に閉じ込める技術だ。
首都圏CCS事業では、日本製鉄東日本製鉄所君津地区や京葉臨海工業地帯の複数の工場からCO₂を回収し、房総半島を横断するパイプラインで外房側へ運び、九十九里沖の海底下に貯留する構想が描かれている。
事業主体はINPEX、日本製鉄、関東天然瓦斯開発などが出資する「首都圏CCS株式会社」である。独立行政法人エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)の「先進的CCS事業」に選定され、国の支援を受けて調査と設計が進められている。
JOGMECが公表した資料では、想定貯留量は年間約140万トン。事業者は2030年代初頭までの貯留開始を目標としている。
首都圏CCS株式会社では、初年度120万トン、将来的には年間500万トンの貯留を見込んでいる。

現在は、最後の貯留先となり得る地層を調べている段階である。試掘の結果、貯留に適さないと判断される可能性もあり、本格的な貯留事業がすでに許可されたわけではない。
一方、この試掘が事業化を目指す一連の工程であることも明らかだ。
房総半島を横断する80キロの高圧パイプライン
構想されているのは、九十九里沖だけで完結する事業ではない。
日本製鉄東日本製鉄所君津地区などの排出源から外房側の貯留区域まで、房総半島を横断する約80キロの陸上幹線パイプラインを敷設する計画だ。
事業者の説明では、パイプは直径約70センチの鋼製で、地下に埋設する。
CO₂は排出源で回収・圧縮され、高圧の状態でパイプラインを通って運ばれる。首都圏CCS事業に関する初期の検討資料では、輸送時の圧力は約4メガパスカル、およそ40気圧とされている。
これは、水深約400メートルでかかる水圧に相当する大きさだ。
もちろん、海中で周囲から均等に受ける水圧と、パイプラインの内側からかかる圧力は性質が異なる。単純に危険性を比較することはできない。
それでも、約80キロにわたって高圧のCO₂を輸送する以上、パイプの強度や腐食対策、地震や液状化への備え、漏出の検知方法、緊急時の遮断と避難の仕組みは、沿線住民に具体的に説明されなければならない。
パイプラインの想定ルートに関係する自治体として、君津市、木更津市、袖ケ浦市、市原市、長柄町、茂原市、白子町、大網白里市、九十九里町が挙げられている。正確なルートや運転条件は、現在も調査・検討中とされる。
首都圏CCS事業は、一つの海岸や一つの自治体だけの問題ではない。内房から外房まで複数の地域を横断し、沿線住民の暮らしに関わる大規模なインフラ計画でもある。
CCSは「地球を救う技術」なのか
国と事業者は、CCSをカーボンニュートラルの実現に必要な技術と位置づける。
鉄鋼、化学、セメントなどの産業では、再生可能エネルギーへの転換だけでCO₂排出をなくすことが難しい。そこで、排出されたCO₂を回収して地下に貯め、大気中への放出を減らすというのがCCSの考え方だ。
千葉県の熊谷俊人知事も7月9日の記者会見で、県内の産業部門のCO₂排出量が全国で最も多いとしたうえで、CCSはカーボンニュートラルに「重要な役割を担う」との認識を示した。
その一方で、検証すべき課題も多い。
CO₂の分離、圧縮、長距離輸送、地下への圧入には、それぞれエネルギーと費用が必要になる。事業全体で実際にどれだけCO₂を削減できるのか。地下に長期間閉じ込め続けられるのか。漏出などの異常をどのように監視し、万一の際には誰が責任を負うのか。多額の公的資金を投じることが、ほかの脱炭素対策と比べて妥当なのか。
「年間約140万トンを貯留する」という数字だけでは、こうした問いへの答えは分からない。
CCSが本当に地球温暖化対策として有効なのかは、理念や期待ではなく、事業全体の排出削減量、費用、安全性、長期管理の実態によって判断されなければならない。
試掘はどのように許可されたのか
経済産業省は2025年9月17日、九十九里沖の一部を、CCS事業法に基づく「特定区域」に指定した。九十九里沖は、北海道苫小牧沖に続く国内2例目の特定区域となった。
首都圏CCS株式会社から試掘の許可申請を受けた経済産業省は、2026年1月7日から2月9日まで申請内容を縦覧に供し、「試掘の許可について利害関係を有する者」から意見を募集した。
その後、千葉県知事への協議などを経て、経済産業省は4月15日に試掘を許可。「公共上の支障はないものと判断した」と発表した。
そして約3カ月後の7月6日、九十九里沖J-1の作業が始まった。

ここで注目すべきなのは、地域住民などから寄せられた意見が、許可判断の中でどのように扱われたのかという点だ。
123件の意見はどう扱われたのか
経済産業省が許可と同時に公表した「寄せられた御意見の概要と考え方」では、試掘に関する意見を6件、試掘以外のCCS政策に関する意見を17件に整理している。
ところが、国際環境NGOのFoE Japanによると、同団体が情報開示請求によって確認した提出意見は123件あったという。
開示された意見書とメールは125件あり、このうち意見欄が空白だった2件を除外した。残る123件のほぼすべてが、試掘やCCS事業への懸念、または反対を示す内容で、賛成、歓迎、肯定的な意見は確認できなかったとしている。
FoE Japanの分類では、安全性への懸念が53件、環境への懸念が48件、CCSや政策への反対が46件、地震への懸念が40件、公費や経済性への疑問が29件、説明不足の指摘が25件などだった。一つの意見が複数の項目に該当するため、合計は123件を超える。
また、九十九里町、山武市、横芝光町、匝瑳市の在住者であることが明記された意見は、少なくとも33件あったという。
【プレスリリース】千葉県沖でのCCS試掘事業に対し、地域住民らが不服申立 – 住民の懸念の声にも関わらず経産省は試掘を許可
それにもかかわらず、なぜ国の公表資料では「試掘に関する意見6件」と整理されたのか。
FoE Japanは、ほとんどの意見が適切に扱われず、意見提出が認められる「利害関係者」の範囲も不当に狭く判断されたと批判している。
意見募集は多数決ではない。反対意見が多ければ、直ちに許可できなくなる制度でもない。
しかし、123件の提出意見が6件と17件に整理された過程は、公表資料からは読み取れない。どのような基準で分類し、住民らの懸念を許可判断にどう反映したのかという疑問は残る。
FoE Japanと地域住民5人は7月14日、試掘許可の見直しを求め、行政不服審査法に基づく審査請求書を経済産業省に提出した。
説明は「参加」だったのか
山武市を含む沿岸自治体では、試掘許可前の2月から3月にかけて住民説明会が開かれた。
山武市の「市民の声」には、説明会に参加した住民から、事業への反対と試掘の中止を求める意見が寄せられている。
これに対して市は、現在はあくまで調査段階であり、試掘が直ちにCO₂の貯留事業につながるものではないと回答。試掘が適切に行われるよう注視し、事業者の調査結果や国の評価について、市民への情報提供に努めるとしている。
だが、住民参加とは、決まった計画の説明を受けることだけではない。
住民の意見によって、調査方法や事業計画、安全対策、許可条件が実際に変更され得るのか。重大な懸念が解消されなければ、事業を止める選択肢があるのか。誰が、どのような基準で地域の合意を判断するのか。
こうした仕組みがなければ、「説明」はあっても、意思決定への「参加」があったとは言いにくい。
千葉県は試掘許可後の6月、自治体、漁協、事業者、国などで構成する「CCS事業に関する連絡会議」を設置した。県は、地元の意見を集約し、資料や議事要旨を原則公開するとしている。
一方、県が公表した構成員には、一般の地域住民や環境団体の枠は見当たらない。しかも、地域の意見を集約するための会議が設けられたのは、試掘許可が出た後である。
地域住民の意見を聞く仕組みが、なぜ許可前ではなく許可後につくられたのか。この点も問われるべきだろう。
海に現れてから知る、それでよいのか
本須賀海岸から見える巨大な掘削施設は、何の前触れもなく、行政手続きを経ずに出現したものではない。
国と企業は数年前から調査と事業化の検討を進め、法律に基づく手続きも行ってきた。沿岸自治体では住民説明会も開催された。
それでも、巨大な姿が水平線上に現れて初めて、事業の存在を知った人は少なくなかった。山武ジャーナルの写真が18万回を超えて表示され、コメントが相次いだことは、この事業に対する関心の高さと、それに見合う情報が住民へ届いていなかった可能性を示している。
手続きを踏んだことと、地域住民が十分な情報を得て、判断に参加できたことは同じではない。
CCSが地球を救う技術になるのか。それとも、CO₂を排出し続ける産業の延命策となるのか。
その答えを出すには、安全性、削減効果、公費負担、責任の所在など、さらに多くの検証が必要だ。
しかし、最終的な評価がどちらであったとしても、地域の海と暮らしに関わる巨大事業が、住民に十分知られないまま進められてよい理由にはならない。
九十九里沖に現れた巨大な構造物は、地下の地質だけを調べているのではない。
この事業をめぐる意思決定が、誰に開かれ、誰の声を聞き、誰の利益を優先しているのか。
いま、そのことが私たちに問われている。
山武ジャーナルでは今後、首都圏CCS事業の安全性、公費負担、実際のCO₂削減効果、環境や漁業への影響について、公開資料をもとに検証を続ける。