2連ポスターの「裏打ち」運用が常態化か?──コンプライアンス不在の小野崎まさき陣営の実態が明らかに

山武市長選挙において問題となっている小野崎まさき候補の2連ポスターについて、当サイトはこれまで複数の角度から検証を続けてきた。

本論に入る前に、政治活動用の2連ポスターの公選法上の扱いについて、今一度整理する

  • 当選を目的としない政治活動の告知のためのポスターを掲示することは禁止されていない
  • ただし、選挙告知または公示前後の一定期間は禁止される(小野崎候補の事例では、山武市長選挙告示当日までに全て撤去しなければならなかった)

小野崎陣営の担当者をはじめ、その他関係者への取材を進めるうち、ある違和感が次第に構造的問題へと帰結していった。本稿では、そのプロセスと、公職選挙法上どのような論点が生じ得るのかを順を追って説明する。

■ 「掲示板でやらないとまずい」──事務局A氏の証言の違和感

当社サイトが15日、小野崎陣営の事務局担当者(以下、A氏)に取材を行った際、2連ポスターの設置がどのように行わていたのかを尋ねると、

「ポスター単体で貼るのは良くないと思った」
「掲示板でやらないといけないと思った」
「理由はよく分からないが、他もそうしていた」

この証言から浮かび上がるのは、明確な法的理解に基づく判断ではなく、「何か規制がある」という曖昧な認識のもとで運用されていた実態だ。

■ なぜポスターだけてなく、掲示板ごと撤去したのか?

14日朝まで移封状態で掲示されていたポスターは、建物の壁や塀といった既存の構造物にではなく、「自由民主党掲示板」と書かれた単独の構造物に貼り付けられていた。
これが午後にはポスターのみが剥がされていたのではなく、「掲示板」そのものが撤去されていたことが確認された。

告示日に他の場所のポスターを撤去した際、なぜポスターのみを剥がすのではなく、「掲示板」ごと撤去したのか。「自民党掲示板」と書かれた掲示場は、支部の備品ではなかったのか、という質問に対し、A氏は次のように説明した。

「シロアリにやられでボロボロになっていたので、この機会に一緒に撤去した」
「掲示板は(当該の)ポスターを貼るためにこちらで作ったもの」

「自民党掲示板」と表示していた理由は、

「よくわからないが、臼井さんや立憲など多陣営も掲示板でやってるから、ポスターだけそのまま貼ってあるのはよくないから」

とした。

しかし、当サイトが14日に撤去される直前の掲示板は目視した限り状態は良く、少なくとも「シロアリでボロボロになっていた」という説明とは程遠い状態で、撤去理由の合理性が崩れている。

もともと小野崎陣営が用意したものだったとしても、ポスターの掲示が違法となったからといって、なぜこのようにまだまだ使用できそうな掲示板まで撤去したのだろうか?

■ 関係者証言──「完成品」が持ち込まれていた

山武ジャーナルでは、このポスターを設置する場所を提供していた人物に話を聞くことができた。

その人物によると、もともと設置してあった掲示板にポスターを貼ったのではなく、「自由民主党掲示板」と表示された白いプラスティックダンボール(プラ段)に、地面に固定するための木材の足が取り付けられ、ポスターがあらかじめ貼ってある「完成品」の状態で持ち込まれ、それを自身が地面に固定したという。

この証言から、ポスターはもともとそこに設置されていた「自民党掲示板」に後から貼り付けられたものでなく、ポスターを貼れる壁や塀のない場所に、「掲示板」にあらかじめポスターが貼られた構造物を設置する形で掲示されていた実態が裏付けられた。

■ 小野崎陣営の運用実態と、公選法上の深刻な問題点

ここまでの証言と物証を総合すると、小野崎陣営では当該2連ポスターの掲示は以下のように行なっていたことが確認された。

  • ポスター単体ではなく、プラ段に貼り付けた状態で製作
  • 自立可能な脚部を取り付けた構造物として完成
  • その完成品を各掲示場所に持ち込み設置

政治活動のために掲示する「ポスター」に係る公職選挙法の規定は次のようになっている。

公職選挙法 第143条第1項

選挙運動のために使用する文書図画は、次の各号のいずれかに該当するもの(衆議院比例代表選出議員の選挙にあつては、第1号、第2号、第4号、第4号の2及び第5号に該当するものであつて衆議院名簿届出政党等が使用するもの)のほかは、掲示することができない

選挙事務所を表示するために、その場所において使用するポスター、立札、ちようちん及び看板の類
第141条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶に取り付けて使用するポスター、立札、ちようちん及び看板の類
公職の候補者(※一部の参議院比例代表選出議員の候補者を除く)が使用するたすき、胸章及び腕章の類
演説会場においてその演説会の開催中使用するポスター、立札、ちようちん及び看板の類
四の二 屋内の演説会場内においてその演説会の開催中掲示する映写等の類
四の三 個人演説会告知用ポスター(衆議院小選挙区選出議員、参議院選挙区選出議員又は都道府県知事の選挙の場合に限る。)
前各号に掲げるものを除くほか、選挙運動のために使用するポスター(※参議院比例代表選出議員の選挙にあつては、一部の公職の候補者たる参議院名簿登載者が使用するものに限る。)

公職選挙法第143条第16項

公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。以下この項において「公職の候補者等」 という。) の政治活動のために使用される当該公職の候補者等の氏名又は当該公職の候補者等の氏名が類推されるような事項を表示する文書図画及び第199条の5第1項に規定する後援団体(以下この項において「後援団体」 という。) の政治活動のために使用される当該後援団体の名称を表示する文書図画で、次に掲げるもの以外のものを掲示する行為は、第1項の禁止行為に該当するものとみなす。

ポスターで、当該ポスターを掲示するためのベニヤ板、プラスチック板その他これらに類するものを用いて掲示されるもの以外のもの

これらを整理する以下の通り。

  • 定められた方法以外に、公職者が名前や顔を掲示することは禁止(原則)
  • 政治活動であれば許容される場合がある
  • やり方によっては禁止行為とみなされる

ここまでの証言と物証を踏まえると、問題の本質は明確だ。

本来、政治活動用ポスターは「ポスター」として掲示されることが前提であり、掲示のために別途構造物を製作し、そこに貼り付けた状態で設置することは想定されていない。

しかし今回のケースでは、

  • ポスターをプラ段に貼り付けた「裏打ち」状態で製作
  • 自立可能な構造物として完成させ
  • そのまま各地点に設置している

という運用が行われていた。

これは単なる「掲示」ではなく、実質的にはポスターと構造物が一体化した「掲示物」として機能している。

そして公職選挙法は、このような形態はもはや「看板」とみなされ、看板であればサイズや設置場所の数、証票の掲示といった別の規定が存在するが、小野崎氏の2連ポスターはいずれもその規定を満たしているものではなかった。

つまり今回の問題は、「グレーゾーンのデザイン」ではなく、掲示方法そのものが法の想定から逸脱している可能性が極めて高いという点にある。

■ 「自由民主党掲示板」という「おまじない」

小野崎氏に限らず、多くの議員が街中に2連ポスターを掲示している。

「なぜ掲示板なのか?」という質問に対して、A氏は

「臼井さんに聞いた」
「立憲もそうしている」

と語っていたが、その話の通り、それらの政治活動用ポスターは「〇〇党掲示板」と表示された掲示板に掲示されているのがほとんどである。

その理由は、前述の公選法の規定を紐解けば明白だ。

建物の壁や塀といった構造物のない空き地にポスターは掲示できない。しかし、板などに「裏打ち」して掲示することは禁止されている。そこで、過去の政治家たちによって考えられた、公選法違反を回避するためのロジックは以下の通り。

  • 空き地にあらかじめ「掲示板」が設置されていた。
  • すでに設置されていた掲示板に、ポスターを貼って掲示した。

「自由民主党掲示板」という表示は、公選法違反を疑われた時にこのロジックを補完するための方便である。

例えば目の前の駐車場に、2台の車がしっかりと枠内に停まっている。
それ自体、何の問題もない。

しかし、そのうちの1台は制限速度を超えて時速100キロで走って来ていたとしたら──

小野崎陣営の担当者は、

「掲示板じゃないと良くない」
「ポスターだけポコンと貼ってああるのは良くない」

と語っていたが、公選法の条文に照らせば、これらの理解は明らかに誤りだ。

前回の記事で、小野崎陣営のコンプライアンスは、「なんとなく」という感覚や、「みんなそうしているから」という横並び意識に基づく、極めて危ういものだったことを指摘たが、それがこの件でも裏付けられた格好だ。

つまり、担当者はこの回避のロジックを理解することなく、単に「掲示板と書いてあれば大丈夫」という表層的な伝聞に基づいて行動し、「掲示板でやらないとまずい」という誤った認識にまで至っている。

これが、次期山武市長を目指す、小野崎まさき候補陣営のコンプライアンス体制の実態だ。

小野崎まさき候補のガバナンス能力は危険水域

これまで見てきた通り、小野崎陣営における2連ポスターの運用は、

  • 法的根拠を理解しないまま「なんとなく」で判断されていた
  • 過去の慣行や他陣営の動きを根拠に正当化されていた
  • 結果として、公選法違反の運用が常態化していた

という構造を持っている。

問題は、単に一つの掲示物の適法・違法にとどまらない。

なぜなら、これら一連の対応から見えてくるのは、

ルールを解釈し、適用し、組織として統制する能力そのものの欠如

そのものだからだ。

本来、選挙は法令に厳格に従って行われるべきものであり、その運用を担う陣営には最低限のコンプライアンス意識が求められる。

しかし今回のケースでは、

「掲示板と書いてあれば問題ないと思った」
「他もやっているから問題ないと思った」

という、極めて曖昧かつ属人的な判断が積み重なり、結果として違法性が強く疑われる運用にまで踏み込んでいる。

これは、単なる担当者の「知識不足」で済まされる問題だろうか?

法令に基づかないコンプライアンスは、もはやコンプライアンス=法令遵守とは言えない。「コンプライアンス不在」の状態だ。当然小野崎候補は、自身の選対組織のコンプライアンスに全責任を有している。

そして、組織全体が法令を遵守して行動する体制を作り上げることができるかどうかは、小野崎候補のガバナンス能力にかかっている。

しかし、取材によって明らかとなった事実から、小野崎陣営では組織としてのチェック機能が働いていないか、あるいは、そもそもチェックする意思が存在していないかのいずれかであることが明らかとなった。

もし、このような意思決定の構造がそのまま市政運営に持ち込まれたら、条例、予算執行、公共事業といったあらゆる局面において、

「なんとなく問題ないと思った」
「前例があるから大丈夫だと思った」

という判断が繰り返されることになるのではないか。

それが意味するものは明白だ。

今回の2連ポスター問題は、単なる選挙運動上の一事例ではない。

小野崎陣営のガバナンス能力そのものを測るリトマス試験紙であり、その結果は極めて深刻である。

では、有権者である私たちは、この事実をどう受け止めるべきだろうか。

選挙は、候補者の口先だけの耳障りの良い言葉や、見かけが綺麗な政策だけで判断するものではない。
その背後にある組織が、どのように意思決定を行い、どのようにルールと向き合っているのか。そこまで含めて、有権者は見極めなければならないのではないか。

「知らなかった」「他もやっていると思った」
そのような判断が許されるのは、私人の世界までだ。

行政を預かる立場に立つ人間に求められるのは、曖昧さではなく、明確な判断と責任である。

果たして、小野崎氏がそれに値する資質を備えた候補なのか、判断の材料はすでに揃った。

あとは、選ぶだけである。

この選挙の結果は、誰かが決めるものではない。
有権者一人ひとりの判断の積み重ねだ。

そして、その結果を引き受けるのも、また私たち自身だ。

関連記事