【政策】さんむ医療センターについて

【政策】さんむ医療センターについて

選挙戦2日目が終了しました。本日お会いして温かいお言葉を賜った市民の皆さん、本当にありがとうございました。

さて、昨日のコラムでは政策について触れていませんでしたので、今日は「さんむ医療センター」について私の考えをご説明させて頂きたいと思います。

3月29日に実施された東金JC主催の公開討論会では、両市長候補とも「さんむ医療センターを守ります」という主旨の発言をしていました。しかしながら、山武市の一般会計から毎年3億5千万円内外を拠出し、老朽化に伴い98億円を超える予算の建替整備基本構想が示されているさんむ医療センターを、今後山武市としてどの様に守っていくのかという具体的な構想は、残念ながら両候補から示されることはありませんでした。

12年前、山武市合併後初の市長選挙で椎名市長は、

「地域医療の危機! 成東病院崩壊の危機! このままでは成東病院が消えてしまいます」

と訴えて当選を果たしました。

そして、国保成東病院は独立行政法人さんむ医療センターとなり、これで椎名市長は公約通り成東病院を守ったと思われる市民の方も多いと思います。

ところが、当時県と山武郡市各自治体で進められていた「山武地域医療センター基本計画」は、県立東金病院、成東病院、大網病院を経営統合し、高度医療に対応できるセンター病院と、地域ニーズに対応できる支援病院に再編するというもので、決して成東病院がなくなってしまうような計画ではありませんでした。

山武地域医療センター基本計画(H17.3)のサムネイル
山武地域医療センター基本計画(H17.3)

この構想の原点と思われるのは、は平成14年4月に県に提出された「こうれからの地域医療の方向性」と題された提言書で、「適正な規模による病院昨日の効率的な配置、運営、合理的経営を主体に考え県立東金病院国保成東病院・国保大網病院による『公立3病院の再編統合化』が、地域住民の要望を満たすことができる最善の手段である」という内容のものでした。

しかも、これをまとめたのは当時の成東町町長だった椎名市長と、現さんむ医療センターの坂本理事長だったのです。

山武郡市の地域政策に対する提唱(成東病院発H12.7)のサムネイル
山武郡市の地域政策に対する提唱(成東病院発H12.7)

しかし、県立東金病院を廃止して新たなセンター病院を東金に設立し、成東病院の経営権が新病院に移管される方針になると、椎名市長は自分が「最善の手段である」と提唱して実現間近だったこの計画に対して、選挙のために「このままでは成東病院が消えてしまいます」と嘘の情報を市民に広め、東金市、山武市、九十九里町、芝山町による成東病院一部事務組合を解散させた後、山武市単独で「独立行政法人さんむ医療センター」を設立し、本来の計画ではセンター病院に集約されるはずだった経営権の独占を図ったというのが病院問題の真相なのです。

山武市の離脱によってこの計画は大きく変更を余儀なくされ、東金市と九十九里町で3次救急対応の「東千葉メディカルセンター」が設立されましたが、東金市は病院経営のために年間十数億円を拠出し、60億円にも昇る累積赤字が東金市の最重要課題となっています。

本来、私たち市民のためのものであるはずの地域医療が政争の具となってしまったことで、地域の医療資源は分断され、両院は互いに医師不足・看護師不足といった問題を抱えながら、集中治療室での高度医療に対応する3次救急と、帰宅可能患者や一般病棟での入院加療に対応する1次・2次医療の住み分けもうまく機能しているとはいえないのが現状ではないでしょうか。

慢性的な医療人材不足に加え、経営の基盤となる人口が減少する中、山武地域での病院経営は極めて厳しい環境にあり、医療資源、経営資源といったリソースを集中していかなければ、最終的に両院とも共倒れという結果にもなりかねません。

この問題を解決し、さんむ医療センターを含むこの山武地域の医療体制を持続的に維持していくためには、千葉県と連携して早急に新たな経営の枠組みを構築する必要があると考えます。

当初のセンター病院構想に立ち戻ることが可能であるかは今のところ未知数ですが、東金市、山武市の市長が同時に入れ替わるこのタイミングが、県、山武郡市各自治体で将来を見据えた新たな医療体制を構築するチャンスではないでしょうか。