読者の皆さん、そして山武市民の皆さん。
山武ジャーナル編集長鈴木まさやは、この度千葉県議会議員補欠選挙に立候補いたしました。
私にとって、選挙に出るのは3年前の本選以来2度目です。
その2回とも、もし私が立候補しなければ「無投票」になっていました。
千葉県議会議員選挙は、山武市選挙区にかぎらず「無投票」の選挙区が少なくありません。前回、平成27年の選挙では46選挙区のうち3分の1を超える18選挙区が無投票当選となりました。
18選挙区で無投票当選 選択肢なき100万有権者(産経ニュース)
皆さんは「選挙」について、どの様な考えを持っておられるでしょうか?
前回の県会選の投票率は31.71%です。
10人のうち7人の方が投票に行かなかったことになりますが、理由は様々だと思います。
もちろん、選挙で投票することは「義務」ではなく「権利」なので、行くも行かないも、それぞれ個人の自由な判断が許されています。単に「面倒だな」と思って棄権しても、誰が咎めることもありません。
もしも選挙がなかったら?
もしも選挙がなかったら? そんなことを考えたことはありませんか?
選挙のない国は、民主国家ではありません。独裁国家です。
日本のような民主国家では、いくら国の政策を批判しても、総理大臣の悪口を言っても、それだけで逮捕されてしまうようなことはありません。
ところが、中国や北朝鮮のような独裁国家ではどうでしょう。
実際に中国人の友人に聞いた話ですが、中国共産党を批判した人が逮捕され、4〜5年後に帰ってきた時には廃人のようになっていたといいます。
「東トルキスタン」という国があったのをご存知でしょうか。
東トルキスタンは1949年に中国人民解放軍によって侵略され、現在では「新疆ウイグル自治区」と呼ばれています。
中国はここで1960年台に大気圏内核実験を繰り返し、死の灰によって土壌は放射能汚染されました。その結果、死亡を含む健康被害は100万人以上に及び、現在でも新疆ウイグル自治区の住民のガン発生率は他の地域の数十倍と言われています。
また、同様に中国の支配下に置かれたチベットでは、民族浄化政策に基づく人民解放軍による大虐殺で100万人以上の無辜のチベット人の命が奪われました。生き残った人々も、暴行、拷問などで虐げられています。これに対して若いチベット人の僧侶が何人もガソリンを被り、自らに火をつけ、焼身自殺という最も苦痛を伴う方法で中国政府に抗議の意志を示しています。
もし中国が日本と同じ民主国家だったら、国民はこの様な中国共産党の政策に対して、とうの昔に選挙で「No」を突きつけていたのではないでしょうか。
「無投票」を画策か?
3年前の県議会議員選挙で3度めの当選を果たした松下浩明氏は、山武市長選出馬のため県議会議員を辞職しました。松下氏は、自身の辞職に伴って実施される県会議員補欠選挙について、税金の無駄にならないよう市長選挙と同日になるよう辞職日を決めると話していました。
県会議員補欠選挙は、欠員が発生してから50日以内と定められているため、本来であれば山武市長選挙の50日前である2月24日、その日が土曜日のため、週明けの2月26日に辞職するのが常識的な筋であると考えらますが、実際に松下氏が県会議員を辞職したのはそれから3週間以上後、山武市長選挙のちょうど一ヶ月前の3月15日でした。
松下氏が辞職しなければ、どんなに口だけその意向を表明していたとしても、選挙管理委員会は現実に欠員が発生しなければ選挙の準備ができません。県選管が立候補者向けの説明会を実施したのは、それから1週間後の3月23日。告示日の僅か2週間前でした。
選挙の準備は実に大変です。法務局に供託金を納め、10数枚の書類を作製して選管のチェックを受けるだけでなく、ポスター製作のための写真撮影からデザイン、印刷。その他にも、選挙カーの製作や選挙事務所の選定、賃貸契約、場合によってはプレハブ設置など、実に多岐にわたります。
もし、県会補選に挑戦したいという新人候補がいたとしても、これらの準備を告示日まで2週間で滞りなく行うのは極めて困難です。山武ジャーナルでは、少なくとも2名の方が立候補を検討していたことを確認していましたが、当日の説明会会場に現れたのは、早い時期から出馬の意向を示し、3月20日に山武市議会議員を辞職したばかりの小野崎正喜氏だけでした。
候補者が一人だけであれば、選挙は実施されず「無投票」で山武市選挙区の県議会議員が決まってしまいます。そこに有権者の意志は全く反映されません。
松下氏、小野崎氏とも、先般週刊文春で不倫問題がスクープされた石井準一参議院議員の派閥の属する人物です。もし、彼らが山武市選挙区の議席を同じ派閥内で無投票による禅定を画策し、この様な選挙スケジュールに持ち込んでいたとすれば、全ての山武市選挙区の有権者に対する重大な裏切り行為ではないでしょうか。
これが事実であるかどうかの判断は、小野崎候補の平素の言動などから有権者の皆様一人一人がお考え頂ければと思います。また、小野崎候補がこのコラムに対して抗議があるのであれば、これから有権者の審判を受ける候補者同士、公開の場での討論もやぶさかではありません。
政治的談合体質に決別を
「県会議員なんて、誰がなっても同じだよ」
そう思って選挙に行かなかった方は多いと思います。
しかし、有権者の皆さんが選挙に行かなければ、いわゆる「組織票」の比率が高くなるため、結果的に一部の政治家の思惑通りの選挙結果となります。この様な選挙区の体質では、当選するのは有権者ではなく権力を持った政治家の顔色ばかり伺う候補者だけになってしまいます。
もちろん、それも選挙の結果ですから民意といえるのかも知れませんが、「7割の有権者が意思を示さなかった」という民意によって選ばれた県会議員が、この3年間に一体何をしてきたのでしょうか。
人が何かを成そうとすれば、そこには必ず何らかのリスクが生じます。言い換えると、成功には失敗がつきものです。
失敗すれば、そこには責任が伴います。
責任を負いたくないのであれば、何もしないのが一番です。
では、何もせず、何の失敗もない政治家は、良い政治家といえるのでしょうか?
私はこの山武市の急激な人口減少に対して何もしない、椎名市長の「不作為の責任」を山武ジャーナルで指摘しました。
前回の県議選から3年間で、山武市は2000人もの人口が失われていますが、人口減の問題を訴えて当選した松下前県議が、山武市に対して広域自治体=県として一体どの様な働きかけをしてきたというのでしょうか。
松下前県議の「不作為の責任」も、椎名氏同様と言わざるを得ません。
その松下県議の後に、無投票のところてん方式で、ボスの顔色だけを伺いながら議員になろうとする方が、山武市のために県でどの様な仕事をするというのでしょうか。
この様な政治的談合体質から決別しなければ、この地域は今後も衰退の一途となるでしょう。
この度行われる市長選挙、県議会議員補欠選挙、市議会議員補欠選挙は、この様な山武市の選挙事情を有権者の皆さんが考え直す絶好の機会になると私は考えます。
投票日前日の4月14日まで、鈴木まさやは山武ジャーナルで訴えて行きたいと思います。