これまで山武ジャーナルは椎名市長の政治姿勢について一貫して厳しい姿勢で臨んできた。
前回のエントリーで小筆が椎名市長に直接その政治姿勢を問いただした顛末を紹介したが、これを基に小中学校統廃合計画と椎名市長についてもう少し掘り下げてみたい。
椎名市長は3期目の当選を果たして最初の議会において、自らの政治姿勢をこのように述べている。
1.市政の最終判断を下すのは市民
2.判断の結果責任は市民に帰する
3.判断を下せる市民には条件があり、それは「知識」と「情報」
そして、これまで椎名市政はこの考え方に沿って進められてきたかの様に見える。
ところが、今回の小中学校統廃合計画の進め方を検証していくなかで、それが「まやかし」であったことが明らかになってきた。
山武市教育委員会は
「地域代表者や有識者らによる『あり方検討委員会』へ諮問し、その答申を受け、『基本方針』の【素案】を策定し、市民や保護者の意見を聞いてそれを【成案】とした。」
と説明している。山武市教委は実際にこれらの過程を約3年掛けて行ってきた。
ここまでは上記に示した椎名市長の政治姿勢に沿ったやり方であるといえそうだ。
だが、問題はこの後である。
「基本方針【成案】」を基に「基本計画(案)」を策定した。
というのが教委の説明だが、「方針」が決まってから「計画(案)」の素案が示されるまでの期間があまりに短すぎるのである。
「基本方針【成案】」が教育委員会会議で議決されたのは、平成27年11月25日である。
教育委員会の唯一の意思決定機関は教育委員会会議なので、ここで初めて「基本方針」が教育委員会としての正式に認められたことになる。
かなりのボリュームなので、ここでは1点だけ成東中学校と成東東中学校の例を挙げて基本方針の概要を示す。
方針
成東中学校校舎の建て替えと教科担任制で必要な教員を複数配置できる学級数を確保する ためには、地域性や通学距離を考慮し、2校での統合が望ましいと考えます。
今後の課題
・2校が統合することにより、通学区域が広範囲となり生徒の負担が大きくなります。
・2校が統合することにより既存の学校施設を使用する場合、成東中学校は校舎が老朽化しているため、 建て替えが必要となります。成東東中学校については、校舎を小学校として使用することも検討のひとつとして考えられるため、成東中学校の建て替え時期・建て替え場所、学校位置について保護者や地域住民などと十分な協議が必要となります。
・統合後、使われなくなる学校施設及び跡地の利活用については、地域における防災拠点施設の観点や地域コミュニティの観点からも地域住民と十分な協議が必要となります。
すでにお気づきと思うが、ここには「成東中学校を閉校として成東東中学校を統合中学校とする」という方針は全く示されておらず、成東東中学校については鳴浜、南郷、緑海の3小学校の統合小学校とすることも検討課題となっている。
何より、統合後の学校の位置、使われなくなる設備や跡地については、保護者や地域住民と十分な協議が必要であるとはっきりと示されていることも確認していただきたい。
そしてこれを読む限り、山武市教委はこの「基本方針」に基づき、保護者や地域住民と十分な協議を重ねた上で統廃合の「基本計画」を策定するものだと多くの市民は判断するのではないだろうか。
ところが、その僅か約2週間後の12月11日に開かれた山武市議会全員協議会において教育委員会が議会に対して説明したのはこの「基本方針」ではなく、保護者や地域住民とはおろか教育委員会会議ですら1度も協議されたことのない「計画(案)」の素案だったのである。
そして、この「計画(案)」の素案には、「基本方針」では全く示されていなかった、統合時期と統合後の学校の位置が次のように示されていた。
1)新校の開校:平成35年4月1日に新設校を開校します。
2)統合後の学校の位置:統合後の学校の位置は、地域性や通学距離を考慮し、現成東東中学校を学校位置とします。
先に示した「基本方針」から僅か2週間でこのような具体的な内容が示されるのは通常では考えられない。これは前期計画として統廃合が示されている他の学校も同様であり、八角レポートが指摘していたのは正にこの点だったのである。
そして、その5日後の平成27年12月16日に、この「計画(案)」が初めて教育委員会会議で協議された。
しかも、その議事は「秘密会」とされ、協議内容は公開されていない。
さらにその1か月後の平成28年1月20日の教育委員会会議において、「計画(案)」は可決された。
つまり、「統合後の学校の位置や、跡地利用については保護者や地域住民と十分な協議が必要」とされた「基本方針」が決まって、その僅か2ヶ月後に初めて市民の前に示された「計画(案)」は、保護者や地域住民との協議など一切行われることなく、成東東中学校を3小学校統合小学校とすることも検討されることもなく、その場で可決されてしまったのである。
この流れを踏まえた上で、もう一度小筆と椎名市長とのやりとりに戻ると、椎名市長は成東中学校閉校の方針は教育委員会の方針ではなく自身の考えであることを明言したが、これは「計画(案)」を椎名市長が教育委員会に対して独裁的な手法で強硬に認めさせたことを物語っている。
その証左として、先に示した平成28年1月20日教育委員会定例会会議録には、驚天動地の議事が記録されている。
「それにあわせまして、 リーフレットをつくりました。カラー刷のもので、学校には15日に持ち込みまして、保護者を経由して全保護者に配っていただきというお願をしてまいりました。区長回覧としまして、18日から全戸配布、回覧で配られているというところでございます。」(8ページ参照)
1月20日の教育委員会会議においてこれから議決しようという「計画(案)」のカラーパンフレットを、すでに全戸配布したという説明がされているのである。
しかも、この民主主義の原則から甚だしく逸脱した事務方のやり方に対して異議を唱える教育委員は一人もおらず、それどころか
高柳委員:「このリーフレットは 配られているんですよね。これを持ってくる形になりますか。」
教育総務課長:「もう全戸配布になっています。その場で、またお渡ししますけれども。」(12ページ参照)
というように、事実上これを追認したともとれる発言すら確認できる。
墨塗りで開示された山武市教育委員の経歴の中で、小筆は少なくとも教員経験のある五木田委員と高柳委員については教育委員としての識見を備えているのではないかと判断していた。
ところが、もしこれが学級会だったらと仮定してみたときに、これから学級会を開いて皆で席替えをしようという時に、一人の生徒が勝手に自分の好きな席に陣取って
「オレはこの場所に決めたから、学級会ではそう決まったことにしろ!」
などと言い張ったとしたら、教員としての五木田委員と高柳委員はどの様な指導をするだろうか。
このような生徒を放置すれば、「クラスのことは学級会で決める」という民主主義のルールを無視して自分の意見を押し通す「独裁者」の存在を認めることとなり、遅かれ早かれそのクラスは学級崩壊を起こすだろう。
民主主義のルールを守らない生徒の指導ができない教員は、教員としての資格はない。
「あり方検討委員会」から約3年掛けて作られた「基本方針」では言及されていない、椎名市長の意向である「成東中学校閉校」が明記された「計画(案)」は、言い換えれば「椎名案」であるともいえるが、教育委員会は議決前の「椎名案」を「教育委員会案」として事務方がカラーリーフレットで全戸配布したことについて何ら指摘もせず追認してしまっているのだから、これは正に上の学級会の例えでいえば教員が「独裁者」の存在を容認したことと同じである。
民主主義のルールを無視した「独裁者」の専横を容認した山武市教育委員会のガバナンスは崩壊しており、その存在価値はすでにない。山武市教育委員会は、行政機関としてはすでに「学級崩壊」の状態にあるのだ。
「市民協働」などという耳障りのよい言葉をチラつかせながら民主主義のルールすら無視する独裁者椎名市長と、何もいわずにそれを容認する墨塗りの教育委員と教育長。
30年後、50年後、あるいは100年後の山武市のあり方に重大な影響をおよぼす小中学校統廃合計画を、果たしてこのような人々に任せて良いものなのだろうか。
この「計画(案)」は市民との十分な協議を行わないまま、平成28年8月には「成案」とするよう教育委員会では着々と協議が進められている。