オールド左翼のプロトコルに収まらなかった男──多ヶ谷亮と、れいわ新選組の正体

衆議院議員多ヶ谷亮氏は、れいわ新選組から千葉11区に立候補し、比例復活で同区2人目の議席を得た代議士であることは、山武市民諸兄にとっては周知のことだろう。

その多ヶ谷亮氏の今回の離党をめぐる一連の騒動は、単なる一議員の進退として片づけるには、あまりに示唆的だ。そこには、れいわ新選組という政党が内包する限界と、同時に千葉11区の有権者があらためて評価すべき一人の政治家の姿が、くっきりとそこに浮かび上がっている。

経緯の振り返り

事の発端は、多ヶ谷氏が国会議員による超党派議員団の一員としてイスラエルを訪問したことだった。特定政党の公式外交ではなく、複数政党の議員が参加するごく一般的な視察・意見交換の枠組みだった。

ところが、この行動に対し、れいわ新選組の支持者コミュニティを中心に強い反発が起き、“炎上”した。

  • 「ジェノサイド国家を訪問するとは何事か!」
  • 「自民党議員と行動を共にするのは裏切りだ!」

こうした批判は、政策論というよりも感情的糾弾に近く、人格否定を含むものも少なくなかった。党内で十分な説明や合意形成がなされた形跡は見えないまま事態は進行し、多ヶ谷氏は最終的に離党届を提出するに至った。

炎上は“限定空間”でしか起きていない

冷静に見れば、多ヶ谷氏の行動自体が日本の政治空間全体で問題視されたわけではない。超党派での海外視察や、現地政府首脳への表敬訪問は、国会議員の活動として珍しいものではない。

実際、この件を「問題だ」と感じているのは、ほぼれいわ新選組支持者界隈に限られている。ここに、れいわ新選組が抱える構造的な特徴がある。

「イスラエル=悪」という思考停止

多ヶ谷氏への炎上コメントを読むと、

  • 事実関係や歴史的背景への関心の欠如
  • 「イスラエル=絶対悪」という前提の共有
  • それに異を唱える者は敵、という空気

が大多数だ。

ごく稀に多ヶ谷氏を擁護するコメントもあるものも、それも含めほぼ100%共通しているのは、「イスラエル=絶対悪」という大前提だ。

パレスチナ問題は、歴史・宗教・民族・国際政治が複雑に絡み合ったテーマであり、本来単純な善悪二元論で語れるものではない。

これは思想や主張というより、れいわ新選組支持者というエコーチェンバーによって固定化された教義に近い。

れいわ新選組の「多様性」の正体

れいわ新選組は、重度身体障害者やLGBT当事者などを擁立することで、ことさら「多様性」を強くアピールしている。しかし、今回の多ヶ谷氏の離党劇で一貫しているのは、異論を許さないという真逆の空気感だ。

これが何を意味するかというと、れいわ新選組が尊重するという「多様性」とは、性別、国籍、LGBT、障害と言った「属性」の多様性であって、人それぞれの意見や判断などの考え方の多様性ではないということだ。

異なる視点や現実的判断を示した瞬間に、裏切り者扱いされ、排除の対象となる。これは民主的な政党というより、極左集団などにありがちな思想的純度を重んじる集団の振る舞いに極めて近い。

オールド左翼のプロトコル

れいわ新選組は「新しい政治」を標榜しているが、多ヶ谷氏の離党劇を通じて、その実態はオールド左翼が長年繰り返してきた行動様式、すなわちオールド左翼のプロトコルを忠実に踏襲していることが浮き彫りとなった。

れいわ新選組という政党は、それを山本太郎という象徴的な“包装紙”で包み込み、マーケティング上の新鮮味を与えているに過ぎない。

思想の方向性はともかく、

  • 内部批判を許さない
  • 指導者への忠誠が優先される
  • 路線差は「敵対」とみなされる

という構造は、古今東西、左右の別なく、極端な思想集団に共通するものだ。

その中で異彩を放っていた多ヶ谷亮

そのれいわ新選組の中で、多ヶ谷亮氏は明らかに異質な存在だった。

  • 保守志向の人間の話も聞く
  • 自民党議員とも、立憲民主党議員とも対話を閉ざさない
  • イデオロギーより現実的な問題解決を優先する

こうした姿勢は、れいわ新選組という枠組みの中では、むしろ浮いた存在だったと言っていい。

だが、これは欠点ではない。

あらゆる立場の人の話を聞き、尊重できる多ヶ谷氏のような政治家こそ、本当の意味での”多様性”を体現している存在と言えないだろうか。

足枷が外れた多ヶ谷亮

れいわ新選組という枠を外れた今、多ヶ谷亮氏は初めて、

  • 千葉11区の有権者全体に向き合える
  • 特定のイデオロギーに縛られない
  • 現実的な政策議論ができる

政治家になった。

皮肉なことに今回の離党劇は、れいわ新選組の限界を露呈させると同時に、多ヶ谷亮という政治家の価値をはっきりと示した

オールド左翼のプロトコルに収まらなかった男──

それは、排除されるべき存在ではなく、むしろ今後の千葉11区で、真剣に推す価値のある政治家の条件そのものではないだろうか。

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