君たちは「スリランカ」という国を知っているかい?
山武市が2020年に開かれる東京オリンピックの時、スリランカの選手たちを呼んでキャンプをしてもらう約束をしたので、その前に少しでも君たちや山武市の人たちと仲よくなるため色々な取り組みをしているから、知っている人のほうが多いだろう。
でも、世界には沢山の国がある中で、どうして君たちはスリランカの人たちと仲よくするのか、考えてみたことはある?
先生にいわれたから? それとも、市のえらい人にいわれたから?
これからこのインターネットに書いてあることを読んだら、きっと君たちはだれにいわれなくてもスリランカの人たちと仲よくなりたいと考えるようになると思う。だから、少し長くなるかもしれないけれど、がんばって読んでほしい。
世界には色々な国があって、そこに色々な人が住んでいる。同じ人間でも言葉や食べ物、どんな神様を信じているかなど、おたがいに違う所がたくさんある。違う所はそれだけではない。はだの色、目の色、髪の色、心の中だけではなく、外から見ただけで違う所もたくさんある。それにはどっちが良くてどっちが悪いということはないんだ。たぶん、君たちのお父さんやお母さん、先生も同じことをいうだろう。
でも、今からたった80年くらい前までの世界はそうではなかった。その時の世界では、はだの白い「白人」が、それ以外の黄色いはだの人(私たちもそう)や、黒いはだの人たちを動物や物の様にあつかっていたんだ。
ヨーロッパに住んでいる白人たちは、武器をもってアジアや中東、アフリカ、アメリカ大陸、オーストラリアにどんどん攻めていって、元々住んでいた人たちを殺したり、無理やり言うことを聞かせて自分たちのものにしてしまった。君たちはアメリカやオーストラリアは白人の国だと思っているかもしれないけど、本当は白人がもっともっと昔から住んでいた人たちを殺して自分たちの国にしてしまったんだ。
スリランカも白人に四百年以上支配されていた、そんな国の一つだった。
白人に支配された国は「植民地」と呼ばれた。植民地の人は自由をうばわれ、教育も受けられず、白人たちにいわれるがまま、白人たちのためだけに働かされた。白人たちは自分たちがお金儲けをするために、植民地の畑で綿花やお茶、サトウキビやスパイスなどを作らせたから、かんじんの食べ物を作る畑がなくなってしまい、飢え死にしてしまった人が何千万人もでた。
スリランカの紅茶が有名なのは君たちも知っているだろう。でも、元々はイギリス人が自分たちのお金儲けのためにインドから無理やり連れてきた人たちに作らせたものだったんだ。これはもっと後の話になるのだけれど、お茶の栽培のためにインドから連れて来られた人の子孫と、元々スリランカに住んでいた人たちの間に争いが起こって、30年以上も苦しい内戦が続いて沢山のスリランカ人が犠牲になった。
もし君たちがそんな植民地に生まれたとしたら、どんな気持ちになるだろうか。
自由になりたい。勉強がしたい。皆んなのために働きたい。
植民地に生まれたら、そんなあたり前の夢を持つことも許されなかったんだ。
そんな世界の中で、私たちの日本だけが白人の植民地にならないよう力をつけることができた。
そして、今から百年以上前の1905年、日本はロシアとの戦争に勝利した。
はだが白くないアジア人が、はじめて白人に勝った。
このことは、白人に支配されていた世界中の植民地の人たちに「いつか自分たちも白人に勝てる日が来るかもしれない」という希望と勇気をあたえた。それは、スリランカの人たちも同じだったんだ。
その後、日本は白人たちに対して「人種差別をやめよう」と言い続けた。一部の白人の国は日本の意見に賛成してくれたが、アメリカやイギリスといった大きな国は最後まで賛成しなかった。
そのうち世界では色々なことが重なって、大きな戦争が始まった。
日本はアジアの人たちを植民地にして苦しめていた白人を追い出して、手を取り合って皆んなが豊かに暮らせる、人種差別のないアジアを作ろうと戦ったんだ。白人たちはアジアの人たちを動物や物のようにあつかっていたけど、日本は「世界は一家。人類みな兄弟」という考え方だった。
でも、資源が少ない日本はだんだん戦争を続けることが苦しくなって、最後は広島と長崎に原ばくを落とされたことと、おたがいに戦争はしないと約束をしていたソ連(今のロシア)が裏切ったことで、それ以上戦争を続けることができなくなって降伏した。1945年の出来事だった。
それから6年後の1951年、戦争に負けた日本がもう一度世界の国々の仲間入りをするための「サンフランシスコ講和会議」が開かれた。そこでは、ソ連が「日本はいくつかに分けて、戦争に勝った国の植民地にしよう」という提案をしていたのだけれども、それに反対したのがスリランカ(その時はセイロンという名前だった)のジャヤワルダナさんだった。
ジャヤワルダナさんは会議に参加していた51カ国の代表の前で、
「アジアの国々に希望を与えた日本は自由であるべきだ」
という内容の演説をした。(少しむずかしい文章だが、きょう味のある人はこのリンク先のページを読んでみてほしい)
ジャヤワルダナさんの演説が終わると、会場はものすごい拍手に包まれた。それはまるで会場の窓ガラスが割れるようだった。
そう。ジャヤワルダナさんの演説に感動して拍手をおくったのは、それまで何百年も白人たちから植民地支配を受けていたアジア、中東、南米といった国々だった。それらの国々は日本がたった4年間戦ったことをきっかけに、次々と白人の植民地支配から独立していたのだ。そんな植民地の人たちにとって、日本という国がどう見えたのか、ぜひ君たちに想像してみてほしい。
逆に白人たちから見れば、自分たちに都合の良い植民地が独立してなくなってしまう原因になった日本が、とても憎らしかったかも知れない。でも、ジャヤワルダナさんの演説は、そんな白人たちの心も動かしたのだ。
こうしてジャヤワルダナさんのおかげで、世界の多くの国が日本は自由になった方が良いという意見にまとまり、次の年に日本は独立することができた。だから、もしジャヤワルダナさんがいなければ、今の日本はなかったかも知れないんだ。
ジャヤワルダナさんはその後スリランカのために一生けん命働いて、スリランカの大統領になった。
大統領になってからも、そして大統領をやめた後も、ジャヤワルダナさんはずっと日本のことを思い続けてくれた。
昭和天皇が崩御(亡くなること)された時にも、ジャヤワルダナさんは遠く日本まで駈けつけてくれた。実は戦争が起こるもっと昔の大正時代、昭和天皇はまだ皇太子だったころに日本の軍艦に乗ってスリランカを訪れていたんだ。まだ子供だったジャヤワルダナさんも、お母さんに連れられてその軍艦を見に行った。その時お母さんは、
「あれがロシアとの戦争に勝った日本の船だよ。私たちも日本人と同じアジア人なのだから、やればできるのよ」
とジャヤワルダナさんをはげましたそうだ。
私たちの日本を助け、スリランカ人のために一生けん命働いて来たジャヤワルダナさんの心の中には、この時に見た日本の軍艦とお母さんの言葉がずっと残っていたのかも知れないね。
そして、ジャヤワルダナさんは、
「私の右目はスリランカ人に、左目は日本人に」
という遺言を残して1996年に亡くなった。
そしてジャヤワルダナさんの角膜(目のレンズの部分)は、遺言通り日本人の目に移植された。
ジャヤワルダナさんは一体どんな気持ちで、自分の目の片方を日本人のために残してくれたのだろう。
さて、君たちは日本とスリランカはどういう関係になるのがいいと思う?
確かに君たちのほうがスリランカの子供たちよりきれいな服を着て、立派な学用品を持っていて、沢山おこづかいをもらっているだろう。だから、スリランカの子供たちに君たちのおこづかいの一部を寄付したりすれば、きっととても感謝してくれるだろう。
それはとてもいいことかもしれないが、本当に大事なのはその時の君たちがどんな気持ちなのかということだ。
お金や物をあげて相手が感謝してくれるのを見て自分が気持ち良くなるだけだったら、それは相手に対してとても失礼なことだと思わないか?
もう一度ジャヤワルダナさんのことを思い出してほしい。ジャヤワルダナさんはどうして日本を助けてくれたのだろう。それはジャヤワルダナさんが日本を友達だと思ってくれていたからではないだろうか。だからこそ、そのじゅんすいな気持ちが世界の人たちの心を動かしたのではないだろうか。
君たちは友達との間でどっちがえらいとか、お金や物をあげて言うことをきかせようなんて考えたことはないだろう。
でも大人の中には、自分にとってわずかなお金=相手にとって大きなお金で、「感謝される自分」に酔いしれたり、「いいことをしている自分」を宣伝したりするためにやっている人も少なくないんだ。
2020年のオリンピックが終わってしまえば、山武市は国からお金がもらえなくなるので、今のようなスリランカとの交流を続けていくのかわからない。でも、せっかく君たちはスリランカを知ったんだ。そのあとどうしていくのか、考えるのは君たちだ。
山武市にはここ3年の間に、たくさんのスリランカ人たちがやってきた。でも、これはオリンピックとはぜんぜん関係のない、とてもおかしな話だ。
外国人が日本に来て仕事や生活をするのは、すごくきびしい法律あるので本当はかんたんなことではないのだけれど、一部の無責任な大人が悪知恵を使ってスリランカ人たちを山武市に呼び寄せたのかもしれないし、スリランカ人たちが悪知恵を使って日本にやって来たのかもしれない。
でも、これから君たちや私たち山武市民は、そうして日本にやって来たスリランカの人たちとずっと一緒に暮らしていくことになる。はじめに書いたように、人には言葉や食べ物などさまざまな違いがある。同じ日本人ならそのへんはだいたい同じなので、家族や友達、近所の人たちがどんなことを考えているのかだいたい想像がつくから、よほどのことがなければふだんの生活でケンカになることは少ないけれど、それが外国人だとそうはいかない。おたがいを理解し合うまでには時間もかかるし、努力も必要になってくる。ケンカになることだってあるかも知れない。
これからも山武市に暮らす君たちや私たちには、とてもむずかしい宿題が出されているんだ。
一部の無責任な大人たちがあまり深く考えないでやったことで、なんの責任もない君たちにこんな大きな宿題を背負わせてしまったのは、このインターネットを書いている私もひとりの大人としてとてもすまないと思っている。だから、せめてこれから世の中をつくっていく君たちには、日本とスリランカとの間にこれまでどんなことがあったのかを知ってほしかったんだ。そして、スリランカの人たちと本当はどんな関係をつくっていくのが良いか、無責任な大人のかわりに考えてほしい。君たちなら山武市で暮らしはじめたスリランカの人たちも一緒に、人種差別がなく皆んなが豊かに暮らせるすばらしい山武市をつくれるはずだ。