平成26年4月の山武市長選挙において、新人の小川一馬元市議に対して561票の僅差で辛くも三選を果たした椎名千収山武市長であるが、平成26年6月5日議会で行った3期目の市政に対する所信表明の内容は耳を疑うものであった。
椎名市長が自ら「私の地方自治に関する基本姿勢」と表明した発言の主旨は以下の通りである。
1.市政の最終判断を下すのは市民
2.判断の結果責任は市民に帰する
3.判断を下せる市民には条件があり、それは「知識」と「情報」
山武市議会会議録(12番の発言を選択)
そもそも我が日本国の地方自治において、選挙で選ばれた首長や議会議員以外の市民が市政の最終判断を下す仕組みは、住民投票などごく特殊な例を除いて存在しない。なぜなら日本の政治制度は選挙によって代表者を選出し、国民一人一人の権利をその代表者に信託することで間接的に政治に参加する「議会制民主主義」という政治制度が採られているからだ。
市政であれば、議会の承認を得て政策を決定するのは市長の仕事以外の何物でもない。結果責任は市長自らと議決した議会に帰するのが当然で、その審判は次の選挙で我々有権者によって下される。これが我が国を含む世界の大多数の民主主義の仕組みである。
まず、上記椎名発言の1「市政の最終判断を下すのは市民」という考え方は、古代ギリシアの都市国家などで行われていた「直接民主制」に近いものであり、我が国の議会制民主主義とは異なる考え方である。
次に、3「判断を下せる市民には条件があり、それは『知識』と『情報』」については、百歩譲って市民が直接政治に参加できる仕組みがあったとしても、そこに参加できる市民に「条件」を附すという考え方は看過することは出来ない。
なぜなら、「ある条件」によって政治に参加できる市民を区別するという考え方は、「法の下の平等」を定めた日本国憲法の精神に相容れないものだからだ。
日本国憲法第14条の1
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
これまで述べてきた通り、これらの椎名発言をまとめると「選挙によって選ばれた代表者でない、一定の条件を満たした一部の市民が直接市政の最終判断を下す。」というのが椎名市長の目指す地方自治のあり方であり、これは普通選挙で選ばれた議員による議会の存在意義を否定するだけに留まらず、直接民主制をも通り越し、中国や北朝鮮のような「集団指導体制による独裁」に近い考え方である。
椎名市長のこのような政治姿勢は、実際の山武市政にも顕著に現れており、それらの問題は今後この場で順次取り上げていく予定である。
第1稿において
「我が日本国の地方自治において、選挙で選ばれた首長や議会議員以外の市民が市政の最終判断を下す仕組みは存在しない。」
としていたが、住民投票、リコール等、一定の条件を満たすことで住民が直接地方行政の意思決定を行う仕組みは自体は存在するため、表現を一部変更し
「我が日本国の地方自治において、選挙で選ばれた首長や議会議員以外の市民が市政の最終判断を下す仕組みは、住民投票などごく特殊な例を除いて存在しない。」
と加筆した。
ただし、記事の文脈そのものには影響しないので、本記事はそのまま継続して掲載する。