【オリ・パラ】山武市、スリランカ民主社会主義共和国選手団キャンプ受け入れ問題

オリパラ2

山武市は2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックにおいて、スリランカ選手団の事前キャンプ受け入れ地「ホストタウン」に名乗りを上げた。

東京へのオリンピック招致活動は石原慎太郎元都知事が2016年の開催を目指して始められ、それが猪瀬都政にも引き継がれて2020年開催として実を結んだ。

東京招致の謳い文句は

「インフラの整った成熟した都市でのコンパクトな大会」

というものだったはずで、このような表現から小筆などは既存のスポーツ施設や宿泊施設などを有効に活用することで国や自治体の財政支出を抑えるような考え方であると理解していた。

しかし、フタを開けてみると、国立競技場の建設費が2500億円に膨れ上がったことが問題となり、結果的に設計変更が行われたものの、「世界の祭典」という錦の御旗の元に政界のドンが組織委員会に君臨し、巨大利権の絡む構図が徐々に浮き彫りとなってきた。

後に盗用が発覚して白紙撤回された当初のエンブレムの選定過程においても、初めから受賞者が決まっていた出来レースという疑惑もいまだ払拭されていない。

 

山武市のスリランカ選手団招致活動は、平成26年(2014年)頃から、「中野伸二副市長が山武市として6年後のオリンピックに向けて何かできることはないかということで進めている」という記述が市の公文書でも確認でき、同年12月に椎名千収市長、中野伸二副市長らがスリランカに渡ってスリランカ=山武市の2者間での個別交渉によって山武市によるキャンプ受け入れの調印がなされた所から公に進められている事業である。

本来であれば、オリンピック・パラリンピック代表選手団のキャンプ招致にあたっては、各競技連盟が定める水準の競技場や宿泊施設を備えていることが条件となり、それらを持たない山武市が正式に国の定める「ホストタウン」として登録されることは不可能である。しかしこの事前の2者間調印が、その条件を回避するためのいわば「抜け道」としての役割を果たした。

このような経緯で、練習場や宿泊先などの問題を後回しとした「見切り発車」的にスタートした山武市のオリ・パラキャンプ招致事業であるが、当初は「時差や環境に慣れることが目的なので必ずしも専用の競技場は必要でなく、学校の体育館などで十分に対応可能」「身の丈にあった予算で実施する」といった説明であったにも関わらず、ここへ来て成東運動公園整備費用として約4億5000万円、その他ソフト事業(選手の交通費、宿泊費、食費など)として約1億6000万円、計6億1000万円の予算が示され、これには合併前から長年町政・市政を支えてきたベテラン市議なども強く反発している。

 

昭和26年(1951年)に開催されたサンフランシスコ講和会議の際、セイロン(現スリランカ)のジャヤワルダナ代表は演説の中で

「何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。」

とし、「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」というブッダの言葉を引用し、日本に対する全ての賠償請求権を放棄し、ソ連が提案する分割統治案に真っ向から反対した。

戦後の日本が連合国による分割統治を免れ、サンフランシスコ講和条約により国際社会へ復帰出来たことについて、我々日本人はスリランカに対してどんなに感謝しても足りないほどの恩があり、また両国の心の通った友好の深さは計り知れない。

そのスリランカとの交流や、日本で開催されるオリンピックへ協力すること自体は大変素晴らしい取り組みである。

しかし、その陰に隠れて国立競技場の様にいつの間にか巨額な財政支出を行ったり、エンブレム問題のように一部の人間が不当に利益を得るようなやり方は許されるものではない。

山武ジャーナルでは、2020年のオリンピック・パラリンピックが誰もが笑顔になるような素晴らしい祭典となるよう、山武市の今後の取り組みについて注視していきたい。