さんむ医療センターで医療事故が発生したのが平成26年4月8日、その結果患者が死亡したのが同9日。
そして、椎名市長名で関係者に対してその報告が行われたのが、月明けの5月1日。
この3週間という空白の期間に山武市で何が起こっていたか、多くの山武市民にはピンとくるであろうが、平成26年4月20日は山武市長選挙の投票日であった。
先の市長選挙の最大の争点が、さんむ医療センターの移転建替問題であったことは記憶に新しい。
現職椎名市長は、建物の老朽化を理由にさんむ医療センターそのものを別の場所に移転して建て替える考えを示していた。一方新人の小川一馬元市議は、莫大な費用を要する移転建替ではなく、現在の建物を大事に使いながら、医療スタッフを確保し救急患者の受け入れ体制を強化することが専決であると主張し、医療政策は真っ向から対立していた。
また、東金にオープンした東千葉メディカルセンターへの参画については、椎名市長は3次救急(救命救急)の利用者は全救急患者の10%以下であると主張し、同センターに対する年額245万円の3次救急負担金の拠出を認めない方針を明確にしていたが、小川氏は救急医療の重要性は利用度の多寡ではなく、大事故やクモ膜下出血など緊急を要する状況で患者の命をどれだけ救えるかであり、合併前の4町村が合意して進められていた県の医療政策に沿う方向に軌道修正を図るべきであると主張していた。
奇しくも患者の死亡した4月9日、成東文化会館のぎくプラザにおいて、市長選立候補予定者の公開討論会が開催されていた。
小川一馬後援会ホームページより転載
この討論会においても、さんむ医療センターの問題は大きなテーマとして取り上げられていた。
その際の椎名市長の主張は次のようなものだった。
「さんむ医療センターは何の問題もなく黒字経営を続けています。それなのに、なぜこの様に今回の選挙で争点となってしまったのか理解できません」
このような主旨の発言はその後の選挙戦の中でも椎名市長が繰り返し行っており、多くの市民が耳にしていたはずである。
しかし、「何の問題もなく黒字経営」しているはずのさんむ医療センターでは、その日一人の患者が医療事故で亡くなっていたのが現実である。
山武市がこの情報を市民に対して如何に開示しようとしないかという顛末は次回以降の記事に譲るが、この事実がそのこととどう結びついてくるのか、山武ジャーナルでは粘り強く取材を続け、解き明かしていきたい。
*山武市の医療政策の問題は、小川一馬氏の後援会HPで解説されている。