山武市は今年度(平成29年度)も青少年スリランカ派遣事業を実施した。
市内在住または市内の学校に在学する中学2年生、3年生、高校生を対象に10名の生徒をスリランカ国に派遣するこの事業は、平成27年にスタートして今回で3度目。
しかし、スリランカは外務省の海外安全ホームページでは、渡航にあたり特別な注意を必要とする「レベル1」の地域に指定されており、このことは昨年も山武ジャーナルで指摘の上、警鐘を鳴らした。
【オピニオン】リオ五輪が始まったので、山武市の五輪キャンプ招致問題を改めて考えてみる
そしてさらに、同ホームページには7月11日に次のような警告が追加された。
1.スリランカにおけるデング熱の流行
(1)スリランカ保健省は、スリランカ全土における本年1月から7月7日までのデング熱感染者数が8万人を超え(うち約250名が死亡)、このうち約43%がコロンボを含む西部州で発生していることを発表しました。
同国政府は、蚊の発生源の除去を呼びかけるとともに殺虫剤散布等を行っていますが、感染者数は引き続き増加しており、過去最大規模の流行となっています。
外務省海外安全ホームページ「スリランカにおけるデング熱の流行(感染が疑われる場合には、早期に医療機関を受診してください。)」より抜粋
今年度の日程は7月23日から31日。
山武市は派遣先のスリランカでデング熱が大流行し、250人もの死者が出ていることを知りながら生徒を送り出した。
デング熱は蚊が媒介するウイルス性の感染症で、特効薬はない。予防法は蚊に刺されない様注意するだけである。
人口2000万人程度のスリランカで8万人ということは、スリランカ人の25人に1人がデング熱に感染したことになる。それなら10人の生徒を渡航させれば、一人でも感染者が出る可能性は4割になる。
デング熱の潜伏期間は3日から7日といわれる。生徒たちが帰国して今日でちょうど7日になるが、感染者が出ないことを心から願うものである。
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存在しない国の施策に向けて実施された山武市の事業
山武市のスリランカ五輪キャンプ招致事業と、国の施策であるホストタウン事業との関係をもう一度整理しておきたい。
山武市がスリランカと五輪キャンプ招致の調印を行ったのは、平成26年12月。
国から事業費の半分を補助として受けられるホストタウンに登録されたのは平成28年1月。
多くの市民が、山武市はオリンピックのホストタウンに登録されたからスリランカとの交流事業を進めていると誤解しているが、実際には山武市はホストタウン登録の1年も前にスリランカ国との調印を行っている。スリランカへの青少年派遣事業も、ホストタウン登録の約半年前の平成27年7月に最初に実施された。
しかし、国が事業費の半分を補助するホストタウン推進要項が公表されたのは平成27年9月30日なので、山武市が単独でスリランカ国との調印を行った時点では、ホストタウンという施策そのものが存在していなかったのである。
それなら、椎名市長は財政的な裏付けなく、市の単独事業としてオリンピックキャンプ招致を行おうとしていたのだろうか。
ここで山武市がホストタウン申請にあたって作られた交流計画の概要を検証してみたい。
山武市は第一次ホストタウン登録に県内で唯一選出され、当時は報道などでも注目されていた。
しかしこの計画を見ると、山武市は平成27年9月30日にホストタウン推進要項が公表される以前から、「ホストタウン登録ありき」で諸事業が実施されていたのが分かる。上記交流計画から、ホストタウン推進要項公表前にすでに山武市で実施されていた事業は次の通りである。
○ボッチャ大会開催時に、ボッチャパラリンピアンを講師として招く。・・・平成27年2月
○市内に住所を有する中学生・高校生または市内中学校・高等学校に通う生徒、合計10名をスリランカ国に派遣し、文化交流、視察及び研修を行う。・・・平成27年7月
○スリランカ国の訪日JICA研修員を招き、山武市の文化、自然、歴史に触れてもらい交流事業を行う。・・・平成27年7月
○田んぼアートイベントを開催しスリランカ国をはじめとした各国在京大使職員等を招き、農作業等を介して異文化交流を図る。・・・平成27年5月
これらを見ても、山武市は平成26年12月の調印に向けての動きも含め、存在しない国の施策に登録するためにかなり精力的に活動していたことがわかる。
では、なぜ山武市は未来の国の施策のため、この様な動きができたのだろうか。
平成28年8月26日、県紙千葉日報にこの様な記事が掲載された。
「東京五輪を応援しますか、それとも傍観しますか」
オリンピック・パラリンピックの東京開催決定から4カ月後の2014年1月、山武市の中野伸二副市長(当時)が椎名千収市長に迫った。
財務省出身で、東京五輪準備委員会にパイプがある中野氏は、市の知名度向上と活性化に五輪を活用すべきと考えた。同年5月、市の戦略推進本部が立ち上がると、12月にはスリランカ代表選手団の事前キャンプ地が決定。千葉県内初、全国でも福岡市に次ぐスピード合意で注目を集めた。
千葉日報平成28年8月26日「進むスリランカ交流 “見切り改修”疑問の声も 【五輪がまちにやってくる】(3)」より引用
この記事により、山武市のオリンピックキャンプ招致事業は平成26年1月にスタートしたことがわかる。しかも、五輪組織委員会にパイプをもつ中野前副市長の提言であったこともわかる。
平成27年9月30日に公表される国の施策の内容を、五輪組織委員会とのパイプで事前に知り得る立場にある中野前副市長によってリークされた情報を元に、他の自治体に先駆けてスリランカ国との調印、交流事業を進め、その結果が県内最初の第一次ホストタウン登録だったと考えると、一連の経緯に納得がいくのではないだろうか。
もしこれが事実だとして、中野前副市長が出向元の財務省職員としての地位を根拠に知り得た公表前の情報を、出向先の自治体の利益のために利用したのなら、そこには道義上だけでなく法的な問題も発生するのではないだろうか。
リスクを押してスリランカ国に生徒を派遣する意義はあるのか
中野副市長の旗振りで平成26年1月にスタートした山武市のオリンピック招致事業であるが、山武市の公文書で恐らく初めて確認できるのは平成26年4月の教育委員会会議の会議録で、次のような記述がある。
4日 山武市の元小学校長であった〇〇先生のご自宅へ訪問した。〇〇先生は現在、スリランカの子どもたちにいろいろ支援をしていたり、里親になったりしている。山武市として6年後に行われる、オリンピック・パラリンピックについて、何かできることはないかということを副市長が進めている訳だが、〇〇先生のそういう活動の話を聞いたことから、先進国はともかく後進国であれば、山武市としても何か利用していただけることもあるのではということで、情報を得るために訪問してきた。
驚くことに、山武市が五輪招致事業の相手国としてスリランカを選定した理由は、スリランカが「後進国」だからだったのである。
中野前副市長の書いたシナリオの元、将来の国の施策=国からの五輪マネーを獲得して五輪事業を行うため、何とか話を聞いてくれそうな後進国がみつかって、それがたまたまスリランカだった。
これが山武市のオリンピック招致事業の実態だ。
五輪マネー獲得のために「後進国」と見下した相手との交流事業を進める山武市の姿勢は、一市民としても深い憤りを禁じ得ない。
スリランカ青少年派遣事業も、スリランカ料理教室も、シンハラ語教室も、田んぼアートも、全てホストタウン申請の作文の為で、2〜3人のスリランカ選手団のために4億5000万円成東運動公園を改修したり、その他に選手団の移動や宿泊など約6億円の事業費のうち3億円を国から貰うことを目的に、山武市はこれらの事業を推進しているのである。
椎名市長が
「怖いのはゾウさんに踏まれることと蜂に刺されることくらい。現地の人は優しく、スリランカは一番安全な国。」
と嘯き、五輪マネー獲得のために子供たちをリスクに晒して「後進国」と見下すスリランカに送り、一体どんな意義があるのか。
実際に今年度の同事業報告のページに掲載されている生徒たちの感想は
「日本がどれだけ恵まれているかわかった」
「この研修をこれからに活かしたい」
「スリランカ人の温かさを感じた
程度のものに過ぎない。
山武市青少年スリランカ派遣団が研修に行ってきました!(山武市HP)
生徒たちに罪はないが、「日本がどれだけ恵まれているかわかった」などという感想は、研修を実施する山武市教育委員会が相手国を「後進国」と見下す姿勢をそのまま現わしている。
追記;上記ページのリンク先が変更されたことを確認したため修正した。また今後も予告なく変更される可能性があるため、PDF化したドキュメントも添付する。
山武市は五輪マネーと引き替えに生徒を犯罪や感染症のリスクに晒す、スリランカ青少年派遣事業を中止せよ。
最後に、平成26年に安部総理がスリランカを訪れた際のスピーチを紹介したい。
本来我が国と深い繋がりのあるスリランカ国との交流を、五輪マネー獲得の方便として利用することしか考えられない山武市には猛省を促すものである。
日本スリランカ・ビジネス・フォーラムにおける安倍総理スピーチ(首相官邸HP)
「日本・スリランカ・ビジネスフォーラム」にお集まり頂いた皆様、こんにちは。アーユボーワン。安倍晋三でございます。一言ご挨拶申し上げます。
私は、先ほど、首都のスリジャヤワルダナプラコッテを訪問しました。
コロンボも大変素晴らしい街ですが、私は、日本の総理として、この首都の名前をしっかりと胸に刻まねばならないと考えています。
皆様よくご存じのとおり、1951年のサンフランシスコ講和会議において、日本の主権を擁護する演説を行って下さったのは当時のジャヤワルダナ・セイロン蔵相でありました。
今日の日本という「国のかたち」があるのは、その演説の大きな後押しを受けてのものです。
後に大統領となられた、この偉大な政治家の名前を冠した、「スリ・ジャヤワルダナ・プラ・コッテ」は、日本人にとって特別なものなのです。
また、私には、この光り輝く国スリランカへの訪問に対して、もう一つの特別な思いがございます。
1957年、私の祖父が日本の総理として初めてスリランカを訪問しました。
あれから半世紀以上が経ち、日本とスリランカ、そして、太平洋とインド洋を結ぶ友情の架け橋は、大変強固なものとなりました。
私は、今回の訪問を通じて、それをこの目で確かめ、肌で感じることができました。
孫である私は、祖父から渡された友情のバトンをしっかりと受け止め、スリランカとの素晴らしい関係を更に発展させていきたいと思っています。
本日、私は、その思いを新たに致しました。
日本とスリランカとの友好関係を更に強固なものとするには、経済関係、とりわけ、貿易や投資が促進されることが重要です。
スリランカには、「ジャパナ・ハパナ」という言葉があり、これは、「賢い日本人、素晴らしい日本の技術」という意味だと伺っています。
私は、今回のスリランカ訪問にあたって、日本から最高の「ジャパナ・ハパナ」を連れて参りました。
それがインフラ、金融、建設、物流、製造等の分野で日本を代表する企業のCEOからなる、この経済ミッションです。
いずれもスリランカの更なる経済発展を後押しする能力と技術、そして何より熱い思いを持った方々です。
是非、本日のビジネスフォーラムの機会を、スリランカの将来のために役立てていただきたいと思います。
様々な分野で日本の高い技術を取り入れることは、皆様の発展に大きく貢献するはずだと思います。
例えば、私は、先ほど素晴らしい建築様式の国会議事堂を訪問しました。これは、世界的建築家ジェフリー・バワ氏によって設計され、日本企業によって建設されたものです。
そして、その改修工事についても、日本企業による協力が進んでいます。これは、真に日本とスリランカの協力のサクセス・ストーリーと言えるでしょう。
新たなサクセス・ストーリーの種も幾つか撒かれています。
本年3月、スリランカにおいて、日本式のデジタル放送の採用が決定されました。今後、防災情報や保健情報等の迅速且つ広範な伝達に大きく貢献することでしょう。
また、今回、農業分野における覚書も合意されました。お互い米を愛する者同士、農業分野における新たな協力が期待されます。
更には、今後、日本の高効率石炭火力技術がスリランカに導入されることも見込まれています。このような技術の導入は、スリランカの電力不足を解消するとともに、日・スリランカの協力による気候変動に対する大きな貢献になるはずです。
本日のラージャパクサ大統領との首脳会談においては、伝統的な二国間の友好関係を、「海洋国家間の新たなパートナーシップ」へと発展させることで一致しました。
日本とスリランカ両国には、海洋国家としての共通点が多いと考えます。両国にとって、海を介した自由な通商活動は極めて重要です。
私は、スリランカとの間で、「開かれ、安定した海洋」の実現に向けた海洋分野での協力を強化し、太平洋とインド洋を結ぶ友情の架け橋を更に強化していきたいと思います。
今日ここに集まった官民の「ジャパナ・ハパナ」は、域内のハブを目指すスリランカを更に光り輝く国へといざなうことでしょう。
私は、日本の総理として、先輩達から引き継いだ友情の架け橋を大切に引き継ぎ、更に堅固なものにしていきたいと考えております。
是非、皆様と一緒にスリランカの発展に貢献していきたく考えています。今回の訪問をその新たな一歩にしたいと思います。
Thank you very much.